どうでも良くなると幸せになる!?気にならない生き方へ

今日のテーマは、「どうでも良くなると幸せになる。」です。

どうでも良いって言葉だけ聞くと、何だか投げやりで無責任のような印象を感じたりもするかもですけど…実は、人生を幸せから生きる上ですごく大事なポイントなんですよね。

どうでも良くなってる状態というのは、気にならないということ。

気にならないわけだから、悩み事や心配事がなくなっています。

人に何を言われても気にならない。

過去のイヤな思い出が気にならない。

未来への不安が気にならない。

すべてがどうでも良くなっていて、あれこれ考えることがない。

いかがですか?

こういった人生になったら、とても楽そうに感じませんか?

どうでも良くなる方法とは?我慢せずに受け入れること

どうでも良くなって楽に生きる方法は、我慢せずにすべて受け入れることです。

我慢という言葉は、我の慢心・・・という意味ですからね。

我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。

四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。

現在、一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという「忍耐」の意味あいで用いられる「我慢する」は、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から言われるようになったとされている。

と、ウィキペディアを参照してみました。

根気強さとか粘り強さ、しぶとさなどの意味で使われてるのであれば、それはとても素晴らしいことだと感じますが…上のような我慢は、幸せから生きる人生にとって必要ないです。

我慢している自分は偉くて、そうじゃない人は偉くない…

こういった我慢を手放すことで、どうでも良くなって気にならない楽な人生に導かれます。

要するに我を手放すとは、すべての執着を手放すということ。

逆に言えば、すべて受け入れるということ。

すべての執着っていうのは、我慢から始まっているんですよね。

我慢の逆は、わがままにあるがままに。すべてを受け入れることが、自然体で生きるということです。宇宙の流れに身を委ねて、とてもリラックスした状態。

自分も他人も世界も…すべて受け入れているから、何も気にならない。

そして、どうでも良くなっているから、思い出すことがない。

ね?我慢しないこと=楽で幸せな人生ってイメージが湧いて来ませんか?

気にならなくなると好きなことにエネルギーを使えるようになる!

先日の∞高次元調律∞イベントの後にご希望者の方とお茶に行ったんですが、その時に隣に座られた方から「最近、どうでも良くなってることが多いんですよ~。」とシェアくださいました。

そして、どうでも良くなって今まで気にしていたことが気にならなくなってくると、その分の気を自分の好きなことに回して使えるようになって来ますよね~って会話をしたんですよね。

サラっとお話した内容だったけど、まさにそのとおりなんですよね。気にしているときって、その言葉のとおりでそこにエネルギーを使って浪費しています。

だから、気にならなくなったことが多くなれば多くなるほど、その分の空いたエネルギーを自分がやりたいことや好きなことに自由に使えるようになるんですよね。

そして、行動が変わってくるんです。その行動を継続することで、昨日の記事に書いたように習慣となります。

習慣が定着してくると人生がどんどん変わっていきます。

自分を生きる命の力(生命エネルギー)を最大限に発揮して、自分を自分らしく生きられる素晴らしい人生になるということなんですよね。

ということで、我慢をどんどん手放してすべて受け入れちゃいましょう。

ではでは、また次回に♪

 

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