オッス、オラ悟空!
・・・じゃなくって、よっしー!
と、ドラゴンボールみたいな挨拶をしちゃいましたが、タイトルに書いた孫悟空はドラゴンボールではなく、本家の西遊記に描かれてる主人公の猿の妖怪のことでございまっす。
なぜか最近ふと、この物語の孫悟空とお釈迦様の対決のシーンが頭をよぎったんですよね。
ご周知のとおり、孫悟空は筋斗雲で得意げにお釈迦様の巨大な手のひらから遥か遠くまで飛び立って、宇宙の果てにある柱に証拠の印を書いて戻ってきます。でも、その柱は実はお釈迦様の手の指で、孫悟空は一歩もお釈迦様の手のひらから出れていなかった・・・。
この孫悟空って、まるで人間そのものを描写してるように感じるんですよね。ある意味では、人間だって猿が進化した化け物猿とも言えるしw
お釈迦様に降参して人生が好転!孫悟空は悪からヒーローへ!
孫悟空といえば、筋斗雲に如意棒、そしていろんな術を使えるなど…凄まじい力を持っています。そして、猿山の大将として威張り散らして悪さ三昧していたわけですよね。
で、調子に乗ってお釈迦様に戦いを挑む。が、あっさり敗退。
その後は、お釈迦様の法力によって封印された岩山から救ってくれた三蔵法師に仕えて、天竺へ有難いお経を取りに行く旅へ同行して大活躍する。…という流れ。
どんなに力を持っても猿は猿…お釈迦様の手のひらからは逃れられず、打ちのめされて降参してからの孫悟空の人生は一変して悪からスーパーヒーローに転身しまっす。
使ってる力は悪党の頃と一緒なのに・・・ホント使いようですよねw

どんな力を得ても猿は猿!悟ることはできない!?
孫悟空・・・という名前がまた狙ってるかのようなネーミング。
「我こそは猿の大将であり、空を悟った者である!」と言わんばかりの名前です。これを人間に置き換えると…「我こそは選ばれし人間であり、神とは我自身なり!」みたいな。笑
空を悟れる者も神になれる者も存在しないのに愚かにも人間は神に挑むわけですよね。神を超越して私の人生を思い通りにコントロールしてやろう!引き寄せの法則使いまくって!!ってw
え、そう思ってんのはよっしーだけだろ?って!?
・・・正解!
もう、バラさないでよーww
醜い自分という猿を愛する!才能はここに隠されている!?
戦いまくって自分も他人も傷つけまくって、何のために生まれて来たんだろう?って、もがき苦しんで…でも、答えなんてどこにも見つからなくて。
人によっては死にたい…とも考えたりするんじゃないでしょうか。中にはあまりの辛さから、本当に命を投げ出してしまう人も・・・。
仏教の悟りの世界においては、生きたまま死ぬことを解脱というくらいですし、自分を知ることって本当に苦しくて大変なことなんだって思います。
けど、孫悟空はどんなに外へ飛び出そうとしてもお釈迦様の手のひらの中にしかいられない。だったら、飛ばずにそこにいる?それとも飛び出す?どっちでもOK!どうせ出れないんだから。
そして、どっちでもOKと今を否定することを諦めて考えなくなったら、孫悟空とお釈迦様が消えて溶け去る。猿(人間)もお釈迦様(神)も存在しなくなる。
裏も表も光も闇も善も悪も・・・何もない・・・
目の前に在るのは、是(これ)だけ。
孫悟空とお釈迦様は、一心同体なわけだから。
どんなに汚くて醜くて許せないと思う自分であっても、ずっとお釈迦様と共にあったんですよね。お釈迦様を幸せ、愛っていう言葉に置き換えても良いかも。
だから、幸せって何だろう?愛って何だろう?と考えまくって外(過去や未来)に探しに行ってるときには、どちらも感じることはできない。
じゃあ、どうしたらいい?どうもできなくない?笑
ってことで、あなたはあなたという孫悟空らしさを素直に受け入れて許して、人生という奇跡の大冒険に出かけましょっ!その醜い猿らしさこそがあなたの才能そのものだから!
良いと思う自分も悪いと思う自分もどっちもOK!と認めて考えなくなれば、どちらもが統合されてゼロになって、自分が持っている才能への制限が外れる。
良いも悪いもない・・・
こだわりがない・・・
執着がない・・・
ただ生きるようになる。それがあなたという才能を自然と楽に生きることなのかも。
西遊記とぜんぜん関係ないけど、椎名林檎の罪と罰って曲は深いっすよね。
http://youtu.be/PZVOIfblb9I
生きるという罪と罰を許して、
今だけ重ねて生きる。
是(これ)だけ認めて。
え、俺?ぜんぜんダメっすよー。
今を否定して過去や未来に行ったり、自分や他人を責めたり、是以外のどこかへ幸せを求めに行ったりしまくってますから・・・
でも、それで良いんです。僕という孫悟空が犯す罪も罰も許して、お釈迦様になれない自分を笑って泣いて…そのどちらの自分をも見守りますよ。忘れたら何もないゼロに戻って。
またね~♪
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