よっしーでっす。
さて、前回の続きと行きましょう。
大爆笑したときには思考がなく、自分がどこにいるか探したり…笑ってる自分に客観的に気付くなんてことは一切できず、言葉にするなら「ただ笑ってることが起こっていた。」って感じで。
ってことは、主体と客体といった分離は本来は存在せず、自分はそもそも宇宙の現れそのものだったのでは?…ということに気付いて、さらに訳が分からなくなりました。
ってことで、ルッシーに続きを聞くぜよっ!
宇宙の視点を取り戻す意味とは?本当の幸せと自由を知るため!?
ってか、何だか話が逸れてる気がするんだよな。だって、「チャラ悟りメソッド」っていう楽に自由に生きれる在り方へシフトする方法を教えてくれるって話だったのに・・・。
どうして自分は思考じゃないとか、宇宙そのものだったとか…そんなスケールのデカい話にすり替わってるんだろうか。ルッシーめ、もしや…俺をからかってるだけじゃないの!?



俺の観念が世界に映し出されてるって言われて、それなら今が幸せの観念に変えれば良いのかなって聞いたら…その時点で今が不幸って観念を持ってることになるから違うだろ?って言うし。それなら、幸せになりたいって考えてる俺が消えたら良いのか~ってことになって…いや、そんなのできねぇーーーっ!!って、しょーもないオチになったでしょ?

しょーもないオチになったんだな?


パニック起こしたんだなー?

え、全部キミのせいなんだけど…分かってる!?腹立つわ~っっ!!!

腹が立つのか~!

文字のサイズまで大きくしてかぶせてきやがってっ!!!
ルッシーの野郎・・・マジでむかつく!
こいつのおかげで混乱しまくったわけで、しかも…前回の記事でルッシーに大爆笑すると思考が静まって、俺が本当はどこにいるのか分かるんじゃねーのか?って、アドバイスされて。
試しにやってみた結果、主体の自分がどこにもいなかった。
…っていうか、見る主体と見られる客体っていうそもそもの解釈が間違ってたようで、宇宙の起こり…「世界のすべてが自分とひとつ」でしかなかったことに気付かされちゃって。
今を否定する思考は自分じゃない!幸せと自由の在りかはどこか!?

確かに…これはこれでビックリするような発見というか気付きではあるのかもしれないけど…こんなの知ったところで、俺が幸せになれるかどうかとは関係ないんじゃないの?







そう考えてるのは誰だよ?おい、そこのザコ!言ってみろよ?

えっと・・・思ってる俺や考えてる俺は、本当は俺じゃなくて思考であって…それに気付いてるのが俺で、でも…気付いてる俺なんていう主体は存在しない。
で、世界が分離しているっていう解釈は幻想で、本来は境界線なんてなくって…すべてが一つで宇宙の起こりが在るだけ…だったっけか?


って…あれれ?考えて考えて話してる俺って・・・誰だっけ?えっと、思考だったよね?あ~、何だかまたわからなくなってきちゃったよ~!

ま、ま、まるで禅問答だ…。
やっぱり俺が消えたら、すべては解決するんじゃないだろうか?あ、でも…俺が俺と思ってるのは思考であって、最初から俺という主体なんて存在しないわけだから・・・
実は、、、
なぁ~んにもしなくて良かったりして?
え、でも…そんなのってアリなの!?なんかヤバくない??

俺、アセンションプリ~ズ!
ってな感じで、このシリーズもそろそろ大詰めか?
次回をお楽しみに。
↓が次回の記事です。
またね~♪