ヴィパッサナー瞑想合宿の体験談⑤|悟りへの執着を手放すこと

今回も前回までの続きです。

ヴィパッサナー瞑想合宿の体験談もいよいよ大詰め。

前回の記事では、覚悟を決めることの大切さを書きましたが…これによって不思議と自然に「本当の自分へ、悟りという真理へ」導かれるようになりました。

映画マトリックスに例えるなら、この世界の真実を知るという決意を赤い錠剤(レッドピル)を選んで飲むわけですが、この覚悟によって真理への導きが起こるのですよね。

悟るという覚悟を決めていたことから、ヴィパッサナー瞑想合宿において「私はいない。すべて愛」という体験ができました。

今日の記事では、こういった体験ができたポイントを具体的に挙げて行きます。

まずは・・・

悟りへの執着が緩んでいる状態で、合宿に参加できた。

という点ですね。

すべての執着を手放して悟りへ!我慢を手放してあるがままへ

覚悟を決めていたおかげから、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したときの心境は、「もう悟りの探究は、どうでもいいかな。」となっていたタイミングだったんです。

2015年6月に出会った仏教に精通している友人から「悟ると決めたら、必ず悟れる。」という言葉を聞いて、リミットを外して悟りの勉強をしまくったんですが…いくら学んでも腑に落ちず、それから5ヶ月後の合宿に参加した11月頃には、「探究に意味はない。」というメッセージに触れ、それを強く受け取っていました。

この頃、「探究の終わり」ということをテーマとしたノンデュアリティ(非二元)のメッセージがちょっとしたブームとなっていたのですよね。

ノンデュアリティのメッセージの人気の火付け役となった大和田菜穂さんの講演会にも足を運び、ちょうどその2週間後にヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したのでした。

ノンデュアリティーとは?

この世界は、一つのエネルギーが、いろんな形としてあらわれていて、全ては完全につながっています。 そして、ここには時間は存在しません。ここに、時間、空間、人、動物、自然、物質、全てが現れています。 世界には二つない。つまり、世界は一つであり、分離は表面的なのです。 この世界で、人間以外(生まれたばかりの赤ん坊をのぞいて)に存在する物には、苦しみは存在しません。 つまり、私たち人間が抱える苦しみはオリジナルではないのです。 メッセージを通して、ナチュラルな現実に触れることで、解体(概念が剥がれていきエネルギー的に変わってくる) ことが自然と起きてきます。重みや深刻さ、問題は消えていくでしょう。 なぜなら、これらは全ての本質ではないからです。 存在の本質は、自由、軽やかさ、心地よさ、無条件の愛だからです。

※引用元 ⇒ 大和田菜穂さん公式HP

このノンデュアリティのメッセージから、そもそも世界は一つのエネルギーの表現ならば、探究自体も個人的ではなく全体の表現の一部だから、探究しても意味がないと感じたんです。

さらには、このタイミングで、ノンデュアリティをテーマとした素晴らしい本を読みました。そのことによって、より深く世界の分離は錯覚でしかないことが腑に落ちたのです。

ヤン・ケルスショット著「ホームには誰もいない」

この本を読んだことから探究に意味がないことを実感して、読み終えた後に探究はすべて茶番だったと大笑いしながら大号泣して、探究への気負いが抜けてものすごく脱力しました。笑

本当の自分から生きる覚悟を決めたら、執着の手放しへと導かれた・・・

いかがでしょうか?

ノンデュアリティ(非二元)のメッセージについて少し書きましたが、ここを掘り下げて難しく捉える必要はまったくありません。

僕が伝えたいのは、悟りたいという気持ちがとても薄らぎ、悟りへの執着が簡単に手放せる状態でヴィパッサナー瞑想合宿に参加できたということです。

これによって、瞑想中に現れる思考、感情、身体の感覚にしがみつこうとせず、長時間座ってることから生じる身体の強い痛みすら我慢せずに手放せて、あるがままに眺めることができました。

偶然にも思えますが、本当の自分から生きる覚悟を決めたことによって導かれました。

しかも、これだけじゃないんですよね。

他にもたくさんの要素が重なり合ったのです。

ということで、また次回に続きます♪…って、まだ続くのかよっ!笑

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