ヴィパッサナー瞑想合宿の体験談③|すべて慈しむ愛の心へ

引き続き、ヴィパッサナー瞑想合宿の体験談です。

前回の記事に書いた内容で合宿は進み、4日目から身体中に気付きの意識を向けるヴィパッサナー瞑想を行なうわけですが…これによって、深い手放しが起こるようになります。

ヴィパッサナーに慣れて来たら、1円玉大くらいの意識をもっと大きく広げて、身体の内側にも意識を向けていきます。後半の日程では、内臓や骨といったところも感じて行くんですよね。背骨に流れているエネルギーも感じ取っていきます。

ヴィパッサナー瞑想を行なっている時の感覚は、すべてを受け入れて認めて見守ってもらってるような感じでした。まるで、お母さんに見守ってもらっているかのように。

お母さんがいつも自分のすべてをただ黙って見守ってくれていて、どんなことすらも許してくれてるような深い安心感があり、知らずのうちに握りしめていた嫌な思いが解放されていきます。

過去に人から言われて悲しかったこと、辛かったこと、憤りを感じたことなどが浮かんでは消え…涙が溢れて、心がどんどんと癒されていきます。

それと同時に身体にも癒しが起こり、心身ともに健やかになっていきました。

そして、最終日に慈悲の瞑想を行ないます。

この慈悲の瞑想では、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と…この世界にあるすべてを慈しみながら瞑想します。

慈しみとは、「無限の愛、絶対肯定の愛、ぜんぶオッケー」という心の在り方です。

仏教では、慈悲という言葉を使っていますが、キリスト教では慈愛という言葉を使います。基本的な意味は同じで、「すべてを我が子のように慈しみ、許して愛するような気持ち」です。

慈悲の瞑想とは?すべてを許して受け入れて愛する心へ

10日間のヴィパッサナー瞑想によって、自分の中にある苦しみの執着がたくさん手放されます。そして、その状態になってはじめて、11日目に慈悲の瞑想を行なえるわけです。

自分の心と身体の深い浄化が起こっていなければ、生きとし生けるものの幸せを願う慈しみの心を感じることは難しいので、このような流れのプログラム内容になっているのですよね。

慈悲とは・・・

すべてを許して、受け入れて愛する心。

下の動画は、実際の合宿では使われていませんですが…合宿から帰ってから友人に教わり、しばらく自分で慈悲の瞑想を行なう時に聞いていたものです。

どんなものか参考までに載せておきますね。

この慈悲の瞑想を行なう中で、またまた涙がたくさん溢れて来て…自分の内側も外側も関係なく、大きな愛のエネルギーに会場中が包まれてるような感覚が起こりました。

いえ、会場だけじゃなく、世界全体が包まれている程に感じました。

「そっか…自分は愛だったんだ。すべては愛だったんだ。」

そんな風に感じながら、慈悲の瞑想を行なっていましたね。

そして、11日目の午後からは参加者同士での会話が解禁されて、休憩中にコミュニケーションすることでお互いに合宿で感じたことのシェアをしたのですが・・・

「あれ?ほとんどの人が気付いていない!?」

それが僕の率直な感想でした。

僕のような体験を他の方も同じようにされたと思っていたのですが、まったく違ったのです。っていうか、ほとんどの方が本当の私や悟りにあまり興味のない人でした。

ヴィパッサナー瞑想合宿で素晴らしい体験ができた理由とは?

とても素晴らしい合宿の内容で、最終日にはみなさんと同じようなことを共有できると期待していたんですが…ほとんどの方が瞑想中の身体の痛みを我慢していたようでした。

そうでなかったとしても「無我、私はいない、すべて愛」…という体験として腑に落とされてる方は一人もいなくて、どうして自分はそういった体験ができたのか分かりませんでした。

・・・が、今となっては理解できます。

色んな要素が重なり合って、偶然にも僕はヴィパッサナー瞑想合宿での体験を「無我、私はいない、すべて愛」として落とし込めて、「本当の自分とは何か?」を知れたんだと思います。

次回は、その辺りについて詳しくお伝えさせていただきます♪

 

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