ヴィパッサナー瞑想合宿の体験談|あれ?私はいない!?

今日は体験談をシェアさせていただきます。

内容は、ヴィパッサナー瞑想合宿に行ったときに体験したことです。

2015年11月に11泊12日間のヴィパッサナー瞑想合宿に参加しました。

ヴィパッサナーとは、「物事をあるがままに見る」という意味。

以下、公式サイトからの引用です。

ヴィパッサナー (Vipassana) はインドにおける最も古い瞑想法の一つです。長い年月の間に失われていましたが、2500年前にゴータマ・ブッダによって再発見されました。 ヴィパッサナー とは、「物事をあるがままに見る」という意味で、自己観察によって自己浄化を行う方法です。まず心を集中させるために、自然な呼吸を観察することから始めます。そして研ぎ澄まされた心で、精神と肉体が常に変化しているというその性質を観察し、無常、苦しみ、そして無我という普遍的な真実を体験を通して学んでいきます。体験を通して真実を学ぶことが、心の浄化につながるのです。この道のりの全ての過程(ダンマ Dhamma)は、普遍的な問題に対する普遍的な解決法であり、宗派や宗教とは一切関係がありません。そのため、人種や社会的地位、宗教を問わず全ての人々が修行でき、時や場所も選びません。そして、どの人々も等しく恩恵を受けることができるのです。

⇒ 公式サイトはこちら

ちなみに現在流行っているマインドフルネスは、このヴィパッサナー瞑想の自己観察法を用いたもので、上にある無我の境地(悟り)は目指さずにストレス対処、能力開発のトレーニング法として活用されています。

このヴィパッサナー瞑想の合宿で、僕は・・・

無我の境地=「私はいない」を体験しました。

私はいない!?すべては現れては消える無常なるもの

悟り系の学びをされたことがある人でもそうでない人も…「諸行無常」という言葉は聞いたことがあるかと思います。

諸行無常とは、「この世にあるすべては絶えず変化していて、常なるものはない。」という意味ですね。すべては現れては消える無常なるものです。

まるで、この切ない秋の空のように。

ヴィパッサナー瞑想では、自己観察を続けることによって諸行無常を体験します。

自分の思考、感情、身体の感覚、外に聞こえる音、気配など…すべてを観察するのですが、そうすることで自分の外側も内側も関係なく…すべては変化する無常なものと気付かされます。

何せ11泊12日間、合計100時間くらい瞑想しますからね。笑

後半は、思考と感情と身体の感覚との距離を置けるというか、序盤は日常と同じくそれらがベッタリくっついてるんですが…少し離れたところから冷静に観察できるようになるんですよね。

すべて私じゃない!?観察している気付きだけしかない!

思考も感情も身体の感覚も変化を続けている…

あれ?

じゃあ、普段から私が私と思っていた思考、感情、身体の感覚とは一体何なんだろう?すべてに距離を感じながら観察できるということは、これらは私ではないってことでは…?

という思考が浮かんで来ます。

そして、その思考にも距離を置いて観察します。

この距離を置いて思考に気付いている「観察している何か」の正体は何だろうか?

という思考も沸いてきます。

が、その思考も現れては消える…そのことにも観察して気付いています。

そうです。

どこにも私がいないのです。ただあるがままを観察している気付きだけがあるのです。

気付きしかない!しかし、気付きはどこに?自分は全部!?

自分の内側に観察できる思考、感情、身体の感覚…そして、外側に観察できる音、気配など…すべてに気付くことができるけど、その気付きはどこにもいません。

逆に言えば、すべてに気付けるので…どこにでもある。全部である。

ただいつも観察して気付いているもの、見ているもの、見守っているもの…

それは、確かに存在しています。

ただ、在る・・・

普段は、あまりに近すぎて当たり前すぎて気付かない、見えないだけで・・・。

それこそが、本当の自分。

仏教では、これを本来の面目と言います。「自分の本来の姿。真実の自己。」 という意味。

と、少し長くなってきたので、具体的な合宿での流れも含めて…引き続き次回のブログで、ヴィパッサナー瞑想合宿での体験談をシェアさせてください。

ということで、また次回に♪

 

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